植物が放出する非メタン系揮発性炭化水素はBiogenic Volatile Organic Carbon(BVOC)と言われ年間総排出量は1.2GtCと推定されており地球上の炭素循環を考える上で無視できない量となされている。BVOCはイソプレンなどのテルペン類やエタノールなどの低級炭化水素などに分類されこのうち総量の半分がイソプレンと言われている。
イソプレンは反応性が極めて高く、大気中のヒドロキシラジカル基と反応してオゾンを生成し、対流圏オゾン生成の主たる反応を担っている。またイソプレンはオゾンとも反応しピノンアルデヒドなどエアロゾルの凝結核となる粒子状物質の生成に関与している。これらの反応においてメタンの酸化に関与するヒドロキシラジカル基やオゾンを消費するため間接的にメタンの寿命を延ばす効果があるとされている。
Yokouchiはイソプレンおよびその反応生成物濃度は夏季には昼間に高く、冬季にはピーク値は夏季と変わらないが昼間の濃度の方が夜間より低いことが多いと報告している。またTaoらは地球レベルでのイソプレン放出は熱帯域に集中していることを示している。(Yazakiの図を参照)
以上の観測事実からイソプレンは主に熱帯性の樹木から特に夏季に多く放出されており、その沸点が約34℃と低いことから植物を高温から保護する働きをしているのではないかとの仮説が考えられる。Sasakiらはポプラからクローニングしたイソプレン合成酵素の遺伝子を本来イソプレンの分泌能力を持たないシロイヌナズナに移植し、高温耐性の実験を行った。60℃、2時間の高温処理で野生種は回復不能となったが形質転換体の方はこの処理に耐性を示したと報告している。しかもこの形質転換体の放出するイソプレンはポプラの1000分の1の量に過ぎないにもかかわらず、高温処理中の葉の表面温度は形質転換体の方が常に3~5℃低いという。
谷らはミツマタの葉を用いて温度と光がイソプレン放出と光合成に及ぼす影響を調べている。この結果光子量の増加とともにイソプレン放出、光合成量ともに増加したが、葉温については光合成量は30℃でピークになるのに対してイソプレン放出は葉温40℃まで増加傾向を示したと報告している。これは光合成を行うRubisco活性が30℃前後が適温であるのに対してイソプレン合成酵素(isoprene synthase)の適温が40℃前後にあるためと考えられている。このため40℃近辺では光合成で固定された炭素が数%のオーダーでイソプレンとして放出されると推定されている。
現在最もよくイソプレンの放出量を推定できるモデルはG93と呼ばれており、光強度と葉温からイソプレンの放出量を推定するモデルである。このモデルに近いものが当然気候モデルにも採用されているものと推測できる。しかし、MonsonらはCO2濃度が上昇するとイソプレン放出が減少するという観測事実を報告しておりモデルと実測値とのギャップを問題にしている。このことは以前にも拙ブログの「気候モデルとイソプレン」で述べた。
私がこの問題で不思議に思うのは「水ではなくてわざわざ自分で合成した物質を蒸発させて温度調節をするのだろうか?」ということである。動物が発汗によって体温調節をするように植物も気孔から水を蒸発させて温度調節をした方が合理的ではないかと思うのだ。しかもイソプレンの放出域は水の乏しい乾燥地域ではなく、いわゆる熱帯雨林と一致している。なぜそのような地域で水を使わずにイソプレンを放出するのであろうか?私なりに考えられる理由を推測してみた。ひとつには「雨季と乾季が存在し高温乾燥の気候に耐えるため」もうひとつは「高温多湿で相対湿度が100%に近く水の蒸発がおこりにくい環境に適応するため」という二つの理由が考えられる。このどちらがより正解に近いのか、あるいはどちらも見当違いなのかは今後の研究結果待ちだが、わざわざ手間ひまかけて作ったものを惜しげもなく捨てさるなど私のような小市民にはもったいなくてとてもできそうもない。
参考論文
谷 晃, 伏見 嘉津裕: “温度と光強度がミツマタのイソプレン放出におよぼす影響”. 農業気象, Vol. 61, pp.113-122 (2005)
Sasaki,K et al.: Plants Utilize Isoprene Emission as a Thermotolerance Mechanism.Plant Cell Physiol.48;1254-1262(2007)
Yokouchi,Y:Seasonal and diurnal variation of isoprene and its reaction products in semi-rural area.Atmospheric Environment 28;2651-2658 (1994)
Guenther,A.B.:Isoprene and monoterpene emission rate variability - Model evaluations and sensitivity analyses. J of Geophy. Res. 98;12,609-12,617(1993)
参考サイト
矢崎一史:植物揮発性成分の植物にとっての生理的意義と人間社会での活用ポテンシャル
悪魔のささやき:気候モデルとイソプレン[1回]
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